神様中心
私達は信心させて頂いて何事でも神様にお願いさせて頂いておりますが、一歩間違うと神様を使ってしまうことがあります。
玉水教会初代大先生も
「オイ、神公!肩もめえ。
頭痛がするから頼むぞ。
下痢するから早く止めてくれ。
神様を拝むと言うてもこんなもんです。これじゃあ神公扱いだ」と仰っておられます。
そうではなく何事も神様中心の仕事、神様が中心の生活をすることが必要ですね。
私達は信心させて頂いて何事でも神様にお願いさせて頂いておりますが、一歩間違うと神様を使ってしまうことがあります。
玉水教会初代大先生も
「オイ、神公!肩もめえ。
頭痛がするから頼むぞ。
下痢するから早く止めてくれ。
神様を拝むと言うてもこんなもんです。これじゃあ神公扱いだ」と仰っておられます。
そうではなく何事も神様中心の仕事、神様が中心の生活をすることが必要ですね。
年末年始から先週まではバタバタと忙しくなかなか落ち着くことがなかったのですが、今週は特に大きな行事や出かけることもなくずっと教会におりました。
それで気になっていた事務所内の資料整理をすることができ、普段手をつけないデスクの引き出しや書棚。
昨年の資料などを一気に片付けることができました。
綺麗な部屋は更に安らぎを生むのです。
私の場合、事務所部屋を見ると心にゆとりが有るのか無いのかが一目瞭然で分かってしまいますね。
昨晩のNHK「クローズアップ現代」で臓器移植について放送されていました。
日本では臓器移植法によって15歳未満は臓器を提供できないなど厳しい制限があります。
したがって子供の心臓移植は海外でしなければなりません。
しかし最近海外でも臓器の提供者が不足しており海外からの受け入れを拒む傾向にあります。
番組のインタビューで、臓器を受けられずに無くなった小学生の親は無念さを語り、逆に脳死になって臓器を提供した高校生の親は、脳死でもまだ体に温もりがある子供を切り刻だことへの後悔が未だに残っていると言っていました。
改めて脳死と臓器移植をどのように考えるかを様々な面から議論する必要があるように思われます。
受験シーズン真っ只中です。
受験生の皆さんは藁をも縋りたい気持ちでしょう。
最近はご利益グッズが沢山出ているようで、中でも受験生必携のお菓子が注目されています。
例えばチョコレート菓子の「Kit-Kat」は「きっと勝つ」というゲンかつぎに用いられているようです。
しかし本当に効果があるのでしょうか?
願かけをするということは言わば神様と約束をするということです。
「私は一生懸命勉強しますから、足りないところを足して頂いて志望校に合格できますように」と願うのが本当だと思います。
前半部分を抜いて合格だけを願ってもそれは叶わないと思います。
私は劇団四季などのミュージカルが好きで以前はよく観に行ったものですが、オペラというと高尚な感じがして行ったことがありません。
しかしニューヨークのメトロポリタン歌劇場のディレクターは「シュトラウスもブッチーニもミュージカルのように大衆に喜んでもらえるように作曲したはずだ」と言っています。
この歌劇場では一人でも多くの人にオペラに親しんで欲しいという願いで世界に向けてライブ中継をしていることで有名です。
私たちは勝手に自分で敷居を上げていることが多いようです。
食わず嫌いにならないように物事を色眼鏡で見ないことも必要かもしれませんね。
1月も最後の週になりました。
この前正月だったと思ったのですが、あっという間に1ヶ月が過ぎようとしています。
さて先週末から全国的にこの冬一番の寒波がくると言われていましたが、結局広島市内では薄っすらと白くなっただけでした。
以前でしたら年に数回は積もっていたのですが。
こんなところでも地球温暖化は進んでいることを実感します。
ちなみに昨年は車をスタッドレスタイヤに替えることは無かったのですが、今年は寒くなるという予報を信じて替えてしまいました。
ひょっとすると必要無かったかもしれませんね・・・
玉水教会初代大先生の信話集で
「目に見えるものは形があるので、ちょっと見るとまことに頼りになるように思えるが、実は形のあるものは目に見えるからといって、そのほとんどすべてが頼りないものである」と仰っておられます。
それは形あるものは時々刻々変化するものだからです。
頼りにするものは常住不変のものでなければなりません。
だからこそ私達は目には見えませんが神様を信じて頼りにさせて頂かなければならないのです。
ある小学校の高学年では年に数回給食の代わりに自分で弁当を作って持って行くそうです。
前の晩から下ごしらえをしたり、朝早く起きて弁当に詰めたりだんだん工夫を凝らし始めるようです。
またスーパーに行っても食材を見て栄養のバランスを考えたり、彩りを見るようになる子もいるそうです。
更に給食も残すことが少なくなったといいます。
食育という言葉が最近よく言われますが、まずは自分で食事を作ってみることが一番の食育なのかもしれません。
親の苦労が分かることも大切ですね。
黒人初の大統領が誕生したアメリカではまだまだ人種差別が強く残っています。
特に平均収入では黒人は白人の6割程度で、それにより住居地域も分かれています。
州によっては生活環境からお互いが交じり合うように住まわせる努力をしているところもあります。
小さな頃から隣近所で暮らし、更に学校では机を並べることによって分かり合うことが差別を無くす一番の手立てだと考えているようです。
まずはお互いを理解しあうことによって誤解や偏見を無くしていかなければならないのです。
これは人種だけでなく、私達の身の回りでも人間関係を築く上で大切だと思います。
昨日あるテレビを観ていて驚いたことがありました。
それは世界遺産になっている原爆ドームは、当時一部の市民による「見るたびに原爆の惨事を思い出す」との理由で取り壊す可能性が高かったそうです。
しかし1歳で被爆して16歳で亡くなった女子高生の残した日記に
「あの痛々しい姿だけがいつまでもおそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」と書かれており、それが基で保存運動が始まり1966年に広島市議会で永久保存が決議されたというのです。
広島に生まれ育ちながらこのことを知らなかったとは恥ずかしい限りです。
アメリカではついにオバマ大統領が誕生しました。
数時間前に就任式が行われ歴史的な瞬間を迎えました。
就任演説の中で「今起こっている問題は一部の人のエゴによって引き起こされたものであり、私が選ばれたということは皆で団結して立ち向かっていくということである」と述べています。
まさしく我情我欲を捨ててあいよかけよで立ち行くということだと思います。
また「民族や宗教の垣根を越える時がきた」ということも言っていました。
アメリカから世界をチェンジして欲しいと思います。
玉水教会の初代大先生はお子さんを亡くされたり、経済などの難儀な問題にぶつかる度に神様から「めぐりのお取り払い」とお知らせを頂かれていました。
しかしあまりにも度重なるため神様に問い質したところ
「そなたの霊の4代前に罪を犯しており、子孫20代まで難儀をする」と仰られたのです。
霊の4代前とは自分の生まれ変わりの4代前ということになり、途方もなく昔の出来事です。
逆に言えば今私達が犯した罪は何代か後の自分についてまわるということです。
そうならないようにしっかり信心して徳を残したいものです。
最近は金融危機などで企業の業績が落ち込んでいますが、逆に今をチャンスと捉えて頑張っている企業もあります。
バブルの頃は不動産関係が濡れ手に粟のごとくもてはやされましたが、バブルの崩壊とともにあっという間に落ち込んでしまいました。
その反面京都の老舗で室町や平安時代から地道に続いているものもあります。
教祖様は「桜の花の信心より梅の花の信心をせよ」と仰せられておりますが、パッと派手には咲きますがあっという間に散る桜より、まだ雪が降る頃からジッと咲き続ける梅の花になぞられたみ教えです。
私達も梅の花のように息長く続けていきたいものですね。
昨日は阪神淡路大震災から14年目を迎えました。
直接震災に遭ったわけではありませんが、その当時のことは今でもはっきりと覚えています。
ただ今の神戸の街並みを見ているとその面影はほとんどありません。
広島でも被爆した建物や木などが少しずつ減ってきており、ひょっとすると最後は原爆資料館の中でしか見ることができなくなるのかもしれません。
その時に地球上から核兵器が無くなっていることを望みます。
昨日アメリカのニューヨークで飛行機事故が起きましたが、奇跡的に乗客乗員全員が救助されました。
一部では「ハドソン川の奇跡」と呼んでいるそうです。
離陸直後に鳥によって2つのエンジンが停止してしまい、機長の素早い判断で川へ緊急着水し、また近くを通っているフェリーが救助したということです。
機長は元空軍のパイロットでかなりの経験を積んでいたそうですが、どんなときでも平常心を保つということが大切です。
信心をすることは強い心にならせてもらう稽古でもあるのです。
どんなときでも平常心でいれば奇跡が奇跡でなくなるのです。
昨日は長女が通う小学校の校門の前に立って定点パトロールをしました。
年に数回当番で回ってきます。
こちらから「おはよう!」と声をかけるとほとんどの子供たちが元気良く返事をしてくれました。
中には眠いのか恥ずかしいのか小さな声の子もいましたが、無視する子はいなかったようです。
時折雪がチラつく寒さでしたが子供たちを見ていると元気を分けてもらったような気がします。
私の頃は真冬でも半ズボンで学校へ行っていましたが、さすがにそういう子はいなかったようです。
今からでは想像もつきませんね(苦笑)。
先日もブログで紹介したように教会では毎年1月を寒信行期間として朝5時40分と10時のご祈念時に、今年1年間の抱負を述べていただく「所感発表」を皆さんにして頂いております。
ほとんどの方は普段人前で話すことがないので敬遠される方が多く、声をかけられると渋々承諾されて発表しておられます。
ただ同じ発表をするのであれば、「させられる」のではなく、「させていただく」方が心の持ち方も随分違ってきます。
多少勇気が必要ですが、是非何事も「させていただく」という気持ちで取り組ませて頂きたいものですね。
昨日携帯電話の機種変更をしました。
最新の機種になったのですがあまりにも機能が多すぎて覚えたり慣れるだけでも大変です。
しかし実際に使う機能は電話とメールとスケジュール管理くらいなのですが(苦笑)
ただ最近の機種はほとんどワンセグが付いており、どこでもテレビが観れるのは有り難いですね。
特に野球が始まると私にとっては欠かせない機能となります。
ただ残念なのはソフトに比べてハードの整備が遅れており、例えば山間部や新幹線の中ではワンセグ放送が観れません。
いくら最新の機種でも使えなければ意味がありませんね。
信心も同じで、いくら教会に参っていても自分がしなければいけないことをしなければ山間部の携帯と同じことになるのです。
昨日は成人の日でした。
あるタレントさんが「2回目の成人式を迎えました」というコメントをしていたのですが、これは40歳になったということです。
私もすでに2回目を迎えたのですが、子供の頃には20歳というとかなり大人で随分先のように感じておりました。
それがすでに2回転してると考えると何とも言えない寂しさを感じます。
多分3回転をする時には子供が成人する頃となり、更に寂しさは加速していきそうです。
ただそこまでの人生を振り返って後悔のないようにしたいと思います。
病気や怪我をして表面上に悪いところが見えていると周囲の人は気が付いてくれ、配慮し労わってもくれます。
しかし内臓の病気の場合は本人もですが、見えないだけに周囲も気が付かないことが多いのです。
したがって気が付いたときには手遅れになっていたり、本人は治療をしていてしんどい思いをしているのに周囲はそれを理解してくれない場合があります。
人を理解しようとするときには見えるところだけではなく、見えないところをどう分からせていただけるかがより大切になってくると思うのです。
神様も同じで、見えないからこそこうやって生かされていることの事実からそのお働きを分からせて頂き御礼を申していかなければならないのです。
目に見えない肺や胃、脳といった私達の体は自分の意思とは関係なく神様のお働きによって動いているのですからね。
教会のお広前は信心の稽古をする場所であると言われています。
辞典によると稽古とは「学問や技術を習うこと」となっています。
やはり何事も習得するには努力や多少の無理をすることが必要です。
信心においても時には身体に鞭打つことや心を喚起させることが大切になります。
特に心を鍛えるためには、あえて自分に負荷をかけることがより強い心を生み出すのではないでしょうか。
それにはまず自分の苦手なことに取り組むことがよいと思います。
玉水教会の初代大先生は
「役者さんは舞台の働きいかんによって、楽屋へ入って座布団が敷けるか敷けないかが決まります。
私達もこの世という舞台でそれぞれ役をつとめている役者ですから、一生という短い間の働きで、永遠のあの世で苦しむか楽しむかが決まりますんじゃ。」と仰っておられます。
私達はこの世で様々な役を与えられています。
主婦であったり、父親母親であったり、会社員や経営者や商売人、農業者や漁業者など役割は様々です。
その与えられた役前をしっかり果たしていきたいものですね。
そして罪やめぐりを積まないようにしたいものです。
一昨日から小学校が始まり長女がランドセルを背負って登校し始めました。
毎朝お広前に寄ってご祈念(手を叩くだけですが・・・)をして学校へ行きます。
私は2階の窓から見送るのですが、最近その後ろ姿が随分大きくなったように感じます。
実際昨日の身体検査では身長が伸びていたようですが、それだけではなく多少逞しくなってきたようです。
今年は春から3年生になるのですから、ここまでお育て頂いたことにお礼を申し上げ更なる成長をお願いしたいと思います。
昨日は1月7日ということで七草粥を頂く日です。
日本で粥を食べだしたのは弥生時代で、玄米を粥にしたのが始まりのようです。
昔は米はなかなか食べられなかったので、ハレの日(祭礼)に頂いたのです。
ですから新米が取れると最初に先ず神前に供え、五穀豊穣を祈る神事の後お下がりを頂いたのです。
七草粥も最近は正月のご馳走に疲れた胃を休めるためという意味が多く浸透していますが、実は神様への感謝と新年を無事に迎えられたことへの慶びを込めた行事なのです。
早起きばあたんさんコメント有難うございます。
確かに気持ちが前に出すぎていると空回りしてしまうことがありますね。
いざという時に平常心でいられるためには、普段から稽古に励むことが大切だと思います。
その努力と神様のお力とが合わさると、きっと鬼に金棒・・・いやいや神様に金棒ですよ(笑)。
今年もいろんなことがあると思いますが、しっかりと頑張らせて頂きましょう!!
教会では毎年1月の第一日曜日に初生神金光大神月例祭と信徒総会があります。
その最後に教祖様や初代大先生の様々なみ教えを書いた短冊を引いて一年間のみ教えを頂く「み教えのくじ引き」を行います。
私の今年のみ教えは幼稚園に通う次女に引いてもらったところ「信心の徳は自分一代かぎりのものではない」というみ教えを頂きました。
これにはさすがにドキっとしました。
初代である祖父からの神徳を私が使い切ってしまい、娘や子孫に残せないとなると私の責任は重大です。
逆にしっかり信心をさせて頂きもっと沢山の神徳を貯金できるようにすることが今年の大きな信心目標となりました。
一昨日家族で近くの回転寿司を食べに行ってきました。
満席で待っていたところいきなり店内に鐘の音が鳴り響き、「水槽の前に集まってください」というアナウンスが流れました。
見ていると水槽で泳いでいる大きなハマチを網ですくい上げ、客の前でシメてさばき食べてもらうというイベントでした。
子供たちも興味深く見ていたのですが、さすがに生きている魚を目の前でシメ、内臓を取り出す時には嫌そうな顔をしていました。
スーパーで並んでいる食材だけを見ている子供たちにしてみれば残酷に写ったのかもしれません。
しかし現実には私達は魚でも肉でも野菜でも生きている物を食べて命を頂いているのです。
そこを分からせて頂き感謝の気持ちでいただくことが大切だと思います。
最近のCMを観ていると各企業がエコに取り組んでいることが分かります。
特に二酸化炭素の排出をどれだけ抑えているかをPRしているのです。
私達消費者も商品を選ぶ基準として価格や品質と同じくらいエコを考えることが大切だと思います。
信心でも我情我欲を放して人とあいよかけよで助かることを教えられています。
まさしくエゴからエコへと同じことなのです。
信心に基づいた生活をすることこそ今からの時代に必要とされることなのです。
年が明けて2日目となりました。
教祖様は「朝起きたら元日と思い、夜寝るときには大晦日と思え」というみ教えをくださっています。
なかなか毎日そのような思いになることは難しいのですが、一年を振り返るように寝る前にその日を振り返り、朝起きたら清々しい気持ちで迎える。
それを毎日続けていくことが1週間となり、1ヶ月となり、1年になるのです。
そうすると必ず良い年になると思います。
この気持ちを忘れないようにしたいものですね。
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